毎日を書くこと

二十数年前、病気をして自宅療養をしていたことがありました。

新社会人として周りの友人達がいろいろな経験を積んでいっているのに、自分は近所を散歩していても息が切れて座り込んでしまうほど。

自分の置かれた状況の整合性、というととても大げさですが、何とか意味をみつけて納得したくて、たくさん本を手にとりました。

図書館にはほぼ毎日通いましたし、古本市へもいきました。

とてもためになっていたのに今でも覚えているのは、数行‥。

その中で、どなたが書いたかももう覚えていませんが、「毎日を一篇の詩に描こうと思って生きることだ。詩が難しいなら、原稿用紙一枚書けるほどの生き方。決して簡単ではないが」という意味合いの文章を読んで、一喝されたように思いました。

毎日をそんなふうに過ごす。何か言葉に表せるような生き方。

 

いま、私が楽しみとして読んでいるものに、ほぼ日刊イトイ新聞の、「今日のダーリン」があります。

毎日、糸井重里さんがエッセイのようなもの、といって書かれる文章を読める贅沢!

お孫さんにいろいろ買ってあげる機会を伺っている、と爺バカすれすれでありながら、小さい子供にあげる最高のプレゼントは、「良い友達に恵まれますようにという祈り」と、急に深くて大事なことに気がつかせてくれます。

植物の根の張り方から、問題を深く掘り下げると、息詰まる、つまり不毛な議論に終わるんだよ、問題を浅く広く考えることも大事なんだよ、と言う示唆。

それを、毎日毎日書いている糸井さんの生き方、感じ方にとても力をいただいているのです。

 

毎日何かを表していけるのは毎日発見しているからですね。

 

半年間で数えるほどのブログしか書けていない自分を反省して、もう少し書けるよう、生産的に過ごしましょう、と自分にはっぱをかけました。