マリーのチョコレートケーキ
クリスマスと上の子供達の誕生日が近くて、市販の丸いケーキが続くのもどうかしらと言う理由で、クリスマスケーキは毎年、手作りしています。
手づくりと言っても、本当に簡単で、でもとても美味しいレシピなのです。
平野レミさんの本で知りました。
マリーのクッキーに、チョコレートクリームを塗って冷やし固めたら出来上がり。
イブに作って、翌日のクリスマスの朝に食べるのが恒例です。
ただ、子供の数が増えるに従って、ケーキの長さも長くなり、クリームを泡立てるのが腕がもげそうになります。
機械の泡立て器もあるのですが、ついつい泡立てすぎて分離してしまうことが続いて人の腕で頑張りましょう、となりました。
私がクリームを作り、一番手で泡立てますが、腕が疲れてしまうと、その日にいる子供達が代わる代わる泡立てます。
長めのお皿にラップを引いて、クリームを帯状に塗った上に、牛乳に浸したマリーに一枚ずつクリームを塗って並べていきます。
出来上がったら、ラップで筒状にくるんで冷蔵庫へ。
4、5時間経てば大丈夫なんでしょうが、我が家はイブの夜から、翌朝まで冷やします。
プレゼントが気になって眠れなかった子供達。
うちは、小学校6年生まで、サンタを信じている子がプレゼントを貰える約束で、末の子がとうとう今年最後になりました。
サンタを信じてワクワクしていた子供達を見るのが、親にとっても、本当に楽しいイベントでした。
プレゼントの興奮とともに、小さく斜めにカットされたクリスマスケーキを食べるクリスマスの朝。
サンタは来年からはきませんし、泡だて戦力の長男も就職。
少し寂しくなりますが、マリーのケーキはこれからも作っていきたいと思っています。
フクロウのモビール
毎日を書くこと
二十数年前、病気をして自宅療養をしていたことがありました。
新社会人として周りの友人達がいろいろな経験を積んでいっているのに、自分は近所を散歩していても息が切れて座り込んでしまうほど。
自分の置かれた状況の整合性、というととても大げさですが、何とか意味をみつけて納得したくて、たくさん本を手にとりました。
図書館にはほぼ毎日通いましたし、古本市へもいきました。
とてもためになっていたのに今でも覚えているのは、数行‥。
その中で、どなたが書いたかももう覚えていませんが、「毎日を一篇の詩に描こうと思って生きることだ。詩が難しいなら、原稿用紙一枚書けるほどの生き方。決して簡単ではないが」という意味合いの文章を読んで、一喝されたように思いました。
毎日をそんなふうに過ごす。何か言葉に表せるような生き方。
いま、私が楽しみとして読んでいるものに、ほぼ日刊イトイ新聞の、「今日のダーリン」があります。
毎日、糸井重里さんがエッセイのようなもの、といって書かれる文章を読める贅沢!
お孫さんにいろいろ買ってあげる機会を伺っている、と爺バカすれすれでありながら、小さい子供にあげる最高のプレゼントは、「良い友達に恵まれますようにという祈り」と、急に深くて大事なことに気がつかせてくれます。
植物の根の張り方から、問題を深く掘り下げると、息詰まる、つまり不毛な議論に終わるんだよ、問題を浅く広く考えることも大事なんだよ、と言う示唆。
それを、毎日毎日書いている糸井さんの生き方、感じ方にとても力をいただいているのです。
毎日何かを表していけるのは毎日発見しているからですね。
半年間で数えるほどのブログしか書けていない自分を反省して、もう少し書けるよう、生産的に過ごしましょう、と自分にはっぱをかけました。
本当に必要なご縁なら
離婚に精通している人はほとんどいない、と当事者になって初めて気がつきました。
だから、他の人が離婚直後に、子供とどういう話をしたかを知ることができませんでした。
仕事前に市役所へいき届けを出した日、帰宅すると、三男が1人で留守番をしていました。
お兄ちゃん達は、と尋ねると、テレビをみながら、バイト、と返事。
昨夜、長男に、届けを出す前にもう一度、お父さんと揃って離婚の話を俺たちにしてほしい、と夜中の2時ごろいい合いになって、それも聞いていた様子でした。
寒さもあったのかもしれませんが、毛布を抱えながらテレビを観ている息子は全てを察して不安になっているようにも見えました。
いつもは見ない相撲中継を見ている息子に、
「母さん、今日ね、離婚届けをだしに行ったのよ」
と勇気を出して言いました。
「ふうん」
息子は何でもないという様子でしたが、すぐに、表情は変わらないのに、涙だけがつうっと流れていったのです。
わーんと泣かれるより辛かった。
それでも、相撲中継を見続ける息子に、
「あのね、お父さんも、お母さんも今はこれが、一番いい関係でいられるって判断したの。
結婚したまま、どんどん喧嘩が増えていくの嫌だったの。
君達には申し訳なかったんだけど。ごめんね」
と私も泣けてきました。
しばらく毛布で涙を拭いていた息子が、気がついたように
「今はってことは、また、いつか良くなるかもしれないの?」
今日届けを出したばかりで、全く復縁は考えられませんでしたが、これでお終い、ということが受け入れがたい息子の気持ちも分かったので、
「本当に、必要なご縁ならまた一緒になるって言うけど‥」
と曖昧に答えるしかありません。
すると、無表情だった息子の顔が、ふうっと明るくなって、
「じゃあ、また結婚するかもしれないんだ。
そのときは、また、結婚式するの?」
と聞いてきました。
縫ったばかりの傷が開きそうだと思いながら、それにはうなづけませんでした。
あっさりと
「まあ、想定内だったよ。お母さん達は7年くらい前から変わってきちゃったから」
と納得していた長女をはじめ、4人の子供一人ひとりに話しをすることはできました。
いろいろ思うところはあるだろうし、批判もしたいだろうけど、親の私もこれが精一杯。
結婚の一つの形を見たとして、自分達のこれからに生かしてもらえたらと思います。
息子とカレーライス
小学六年生の家庭科の宿題に親と夕飯を作る、というのがあります。
期限はまだ先なのに、土日祝日はたいがい出勤の私が珍しく家にいるのに気が付いて、今日、夕飯を作ろうと息子が言ってきました。
献立の条件はすべての栄養素を網羅したもの。
タンパク質、炭水化物、脂質などです。
私としては炊飯器にたくさん余っているお米を今日中に払いたかったので、カレーライスを提案してみました。
息子は家庭科の栄養素の表とカレーの材料を書き出して見比べながら、唸っています。
「お母さん、無機質がない」
学校の家庭科の先生には申し訳ないけれど、食事は栄養を教科書通り万遍なくとることが理想だけれど、楽しく作っておいしく食べることがもっと大事、と添えてもらえたらと思いました(笑)
たまねぎを切り始めると沁みて涙をながし,具材を炒め始めると重い重い、と途中で木べらを動かすのをやめてしまうし、カレーライスをつくるのにこんなに神経をつかったことはなかったです。
急いでいるからと、子供と一緒にご飯を作ることがなかったことにも気が付きました。
そういえば、カレーライスという重松清の小説が小学校の教科書に載っていて、上の子達の音読の宿題として聞いたことがありました。
内容に親子間の関係や気持の揺れなどもあって、カレーを作って一緒に食べる時間が本当に大事な時間だったという印象があります。
今月は気持ちの浮き沈みの激しかった息子。
出来上がったカレーを一口食べて「うまっ」と喜んでいる彼を見ている時間も、私にとって大事な時間となりました。
大隈庭園の銀杏
11月14日は埼玉県の県民の日でした。
息子の学校が休校であることをすっかり忘れて、私はインプラント手術の予約をしてしまっていました。
東西線早稲田駅近くの病院であることも、手術が一時間半くらいかかることも小学6年生の息子に話しましたが、僕も行くと言って聞きませんでした。
数日前、彼は、夫から私との離婚の話を聞いていました。私が仕事で不在のときのことで、喫茶店で向かいあってどんな伝われ方をしたのか、ケーキを前にしょげている息子を想像するだけで胸が一杯になりました。みんなが幸せになる選択がほかにあるなら教えてもらいたいと思いながら、息子が大泣きするのをただ頭をなでることしかできませんでした。次の日、彼は学校を休んでしまいました。
病院では私が手術を受けている間、待合室で夫のお古のケータイをいじったり、看護婦さんがつけてくれたテレビを観ていたようでした。
麻酔が効いている間しか彼とあちこち回れないなあ、とかせっかくのお休みなのに病院の付き添いで終わってしまうなあなどと自分を責めていましたが、病院の外に出てみると大学へ向かう学生の波でした。
「そうだ、早稲田に行こうよ」と提案してみました。
「うん、行く!」と意外に元気な答え。
構内の、黄葉がはじまった並木を歩いていると気持ちがだんだん穏やかになっていくのがわかりました。学生たちも元気でにぎやかなのに、そういう喧噪もすうっと吸収していくような深遠な感じが大学にはあるかもしれません。
息子はファミリーマートを見つけるとおでんにはじまりファミチキ二本におにぎりを食べまだまだおなかがすいている、と言います。
仕方がないので大隈庭園のそばにある食堂に移動しました。
その途中で立っていた銀杏の木。
すると
「神様に与えられたその場所で、一生懸命伸びようとしている木を
友達のように思っているっていう詩があるんだよ」
と思い出したように息子が教えてくれました。
修学旅行で行った星野富弘美術館でみた詩だとのこと。
本当の詩はもっと長くて言葉ももっとあったのでしょうが、この詩をこのタイミングで教えてくれたことにとても慰められました。
彼は、食堂でもハムカツやブドウゼリーを食べ大隈庭園を隅々まで走り回って、帰りの電車のなかで
「大隈庭園、楽しかった」
と言いました。
後から調べたら星野富弘さんの「椿」という詩でした。
木は自分で
動きまわることができない
神様に与えられたその場所で
精一杯 枝を張り
許された高さまで
一生懸命伸びようとしている
そんな木を
私は友達のように思っている
本が出会いを‥
子供達とのどかに絵本を読んでいた時期が長かったので、大人の読書には戻れないなあ、まあ、戻らなくてもいいやと思っていました。
それが、3年前、気の合った父が亡くなって意気消沈していたころ、本好きの友人ができました。
私立の大学を卒業しているのよ、と紹介されたときは、お金持ちのお坊ちゃん、という印象しか持たなかったのですが、文学部出身と聞いて、軽い気持ちで、誰の本をよんでいるんですか、という話になりました。
すると、亡くなった父の本棚にあった作家の名前ばかり話すのです。
本の好みというのは、本当にその人そのものが出ると思うので、この人は、父が私のところに送り込んだのかもしれないと本気で思いました。
それから、本を読もうとシニアグラスを作り、山田太一の『月日の残像』を久しぶりの文庫本として読みました。
その中で、『荒地の恋』は「傑作だった」と書かれていたのです。他にもたくさんの本や詩の引用があったのに、その本が印象に残って‥。同時進行的に「荒地の恋」も読み始めました。
「山田太一の『月日の残像』を読んでるんですよ」
と友人と再会したときに本を見せました。すると、しゃがんで本のページをめくって読んでいましたが、
「ああ、いい本ですね」と返してくれたことが印象に残りました。
それが嬉しかったんだと思います。
『荒地の恋』の中に、わずかに挿入された、鮎川信夫と最所フミの件があります。どういうわけか、この最所フミという女性が気になって、彼女が書いた文章を探しに、国会図書館まで探しに行ったこともありました。当時のニューズウィークに映画評論を載せていたのです。
確かにありましたが、彼女の考えや感じ方を知ることはできませんでした。
機会があれば、まだ探し続けたいですね。
友人とは残念ながら会えなくなりましたが、人とだけでなく本と話すことを思い出して楽しんでいること、本が縁で良い時間を過ごせた幸せに感謝しています。